塾長メッセージ

出版の原点に回帰せよ。

塾長:丸山健二

文学における現在の状況ですが、ひと言で片づけるならば最悪であり、さらに始末わるいことには、関係者にその認識が欠落している点です。多少の自覚症状はあるようなのですが、しかし、頭のどこかにはまだ、そのうちどうにかなる、自分が定年までは持つだろう、などと、その程度の能天気な希望的観測がこびりついていて、あとは徒労の会議を重ねるばかりで、依然として一発逆転の大ホームランをかっ飛ばす夢にしがみついているようです。

とはいえ、ここへきてさすがに危機感を払いのけられなくなったようで、ともかく売り上げを少しでも上げなければという焦りを強め、これまで作家をダシにして会社の金で遊ぶことしか考えてこなかった、つまり、それが編集者の主な仕事であると思いこんできたせいで、本来の仕事をちゃんとやれなくなった社員をいくら締めつけてみたところで、今更どうにもなりません。

要するに、出版でぼろ儲けはできない時代に入ったのです。これからは、出版の原点へと回帰し、一冊を不特定多数の読者に売りつけるのではなく、そうした本ならばぜひ購入したいという、特定少数の読者を満足させる本をじっくりとゆっくりと出してゆくべきなのです。それには、何よりもまず、出版社の人間自身が、本の真の価値をよく承知していて、それにふさわしい書き手をよく理解していることが肝心なのです。

もし、それでもいい本を出すことが夢で出版社に入社し、現実の馬鹿馬鹿しさにも打ちのめされず、相変わらずの理想と情熱を抱きつづけている者がいたら、一日も早く自分と同じ考えを持つ仲間数人と、いや、独りでもいいから、小さな出版社を立ち上げるべきでしょう。もちろん、簡単なことではありません。夢は夢として、現実は現実として、きっちり区別し、経営的破綻という恐怖に怯えながらの昼と夜をくぐり抜けてゆかなければならないでしょう。やみくもに突っ走るのではなく、この人の、この作品を世に送り出してみたいと強く願うほどの出会いがあってから初めて進める計画なのですが、それなくしては挫折が明々白々です。出版社を立ち上げてから出したい作品を探すような無茶な真似は絶対禁物です。それにまた、世に送り出したいと強く願っている作品がひとつやふたつあったとしても、そのあとにつづく作品と出会えるかどうかはわかりません。おそらくはないでしょう。事ほど左様に、この国の文化レベルは低く、内容が貧しいのです。

「まだ見ぬ書き手」は存在した。

そして今、言葉を用いた芸術作品としての、真の文学を本気でめざそうとする者が皆無というわけではないことが、「丸山塾」を開き、「丸山健二文学賞」を創設することによって、はっきりと証明されたのです。

つまり、失望や絶望という答えを出すには早計に過ぎました。文学として堂々と罷り通っている、稚拙な文章による、幼稚な感動物語を、売れる可能性が高いからという理由のみで書きつづけ、出しつづけ、持ち上げつづけてきた、質の低い書き手と読み手と編み手の時代は、もっと安直な映像メディアの氾濫に蹂躙されています。

自己逃避と現実逃避が狙いのナルシシストたちは、小説からそっちの側へと移行しつつあります。残った読み手は、映像という具象性に妨げられずに、感情移入がしやすいという、単にそれだけのことで、見え見えの嘘でしかない夢と憧れで塗り固めた恋愛小説なるものと、日常の愚痴に終始した、寝言程度の中身しかない代物に、必死で逃げこもうとしている、文学青年、文学少女気どりの、偽りの陶酔を貪るばかりの、純粋のふりをしながら実際には薄汚い生き方しかできない、そしてそこから滲み出た汚物を自慢したがる、異様な活字中毒者たちのみです。

そんなものが文学として持て囃されてきたこと自体が異常でした。要するに、文学は依然として本格的な偉大な文学の道を辿っていないことになります。ということは、手つかずの文学の鉱脈が無限に存在するわけですから、なんとしてもこの宝の山を掘らないわけにはゆきません。

 

最後に、ひと言。「まだ見ぬ書き手」は存在しました。それも、こんな短期間で複数見つかりました。ひっきょう、棄てたものではないという結論が出たのです。

 

撮影/坂田栄一郎
丸山健二(まるやま・けんじ)
国立仙台電波高等学校卒業後、東京の商社に勤務。1966年、『夏の流れ』で文學界新人賞を受賞。同年、芥川賞を受賞し作家活動に入る。67年に郷里の長野県に移住後、文壇とは一線を画した作家活動を続ける。また、趣味で始めた作庭を写真と文で構成した独自の表現世界も展開。近年の作品では、中篇小説『我、涙してうずくまり』(岩波書店)、短篇小説『風を見たかい?』(求龍堂)、エッセイ『怒れ、ニッポン!』超訳『白鯨物語』(眞人堂)などがある。